Hatena Blog版・筑西歳時記~ここは茨城、筑西(旧下館)市

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倉敷市玉島「羽黒神社の奉納物」が日本遺産の構成文化財に

こんにちは、みなさんお元気ですか?

ここ茨城県筑西市の大町(筑西市甲)には、文明3年(1481)、初代下館城主の水谷勝氏(みずのやかつうじ)公が出羽国(山形県)羽黒権現を勧請したとされる羽黒神社が鎮座しています↓

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水谷氏はその後、寛永16年(1639)に備中成羽藩5万石へ、直後の寛永19年(1642)に備中松山5万石へ移封となり、備中松山城(岡山県高梁市)の整備や玉島(倉敷市玉島)地域の干拓などを行いました。

万治元年(1658)、玉島の干拓を行なうにあたり藩主・水谷勝俊は、氏神として、また地域の守護神として、玉島にも羽黒権現(羽黒神社)を勧請しました↓

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玉島の羽黒神社は、水谷家が無嗣断絶で改易となった後も歴代松山藩主により保護され、現在に至っています。

前置きが長くなりました・・・
この玉島の羽黒神社、実は平成30年に日本遺産になっていたのです。正確に言うと、日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」の構成文化財として「羽黒神社の奉納物」が認定されました。


文化庁「日本遺産ポータルサイト」より↓

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「日本遺産(Japan Heritage)」は、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを、文化庁が認定するものです。ストーリーを語る上で欠かせない魅力的な有形や無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけではなく海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的としています。

倉敷市HP(日本遺産推進室)より↓

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荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~
日本遺産構成文化財10
羽黒神社の奉納物(はぐろじんじゃのほうのうぶつ)
備中松山藩主・水谷氏が玉島港完成を祈願して勧請した羽黒神社には、北前船の船主たちが航海の安全を祈願して奉納した船絵馬や玉垣が残る。


北前船(きたまえぶね)とは江戸時代、瀬戸内から松前(北海道)まで日本海側で活躍した商船群。単に物を運んでいたわけではなく、商品を売り買いしながら(寄港地で安い商品があれば買い、高く売れる港でそれを売りさばきながら)運行していました。
日本遺産「荒波を越えた・・・」は、この北前船に関連する文化財群により構成されています。初年度(平成29年度)に北海道函館市や同松前町、山形県酒田市(申請代表市)など7市4町が認定されて以降、年々認定自治体が増え、令和4年7月現在で16道府県の49自治体による広域日本遺産となっています(倉敷市は平成30年度認定)。

なお、日本遺産「荒波を越えた・・・」の構成文化財には、「羽黒神社の奉納物」の他にも倉敷市から「玉島町並み保存地区」が認定されています。


倉敷市HP(日本遺産推進室)より↓

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荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前舟舟寄港地・船主集落~
日本遺産構成文化財
玉島町並み保存地区(たましままちなみほぞんちく)
北前船高瀬舟の水運により、干拓地で栽培された備中綿を売買する拠点となった。問屋が建ち並び、「西の浪花」と呼ばれるほど繁栄した港町。


玉島の繁栄は、水谷氏が干拓を行い港を整備した事に起因するもの。広い意味ではこの「玉島町並み保存地区」も、玉島の羽黒神社と並んで水谷氏関連の文化財と捉える事が出来るでしょう。

面白いのは、玉島が「西の浪花」と呼ばれていた事です。備中へ移封となる前に水谷氏が藩主をつとめていた常陸下館(筑西市)は、その後、真岡木綿などを扱う商業の町として栄え「関東の大阪」と呼ばれました。

どちらも水谷氏がその礎を築いた「西の浪花」と「関東の大阪」。2つの町は、近代以降に辿った運命にも似通ったところがあります。玉島市は昭和42年に倉敷市、児島市との3市による新設合併で倉敷市の一部に、下館市は平成17年に周辺3町との新設合併により筑西市に。「玉島市」と「下館市」、どちらも単独の自治体(市)として生き残る事は出来なかったのです。

ちなみに玉島の羽黒神社境内には、宝暦2年(1752)当時の住民たちの手により、水谷氏三代の御偉業をたたえ、その御霊を祀る水谷神社が建立されました↓

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なんと、水谷氏は神様になっていたのです。神様となった水谷氏三代は、自分たちが作った町の名が消えてしまった事、はたしてどう思っているのでしょうか。

【おまけ】

この記事を書くため、日本遺産や倉敷市についてネットで少し調べさせていただいたのですが・・・

倉敷市のホームページでこんな記述を発見しました↓

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常陸国下館(現在の栃木県)」とあるのは誤り。水谷氏は常陸国(茨城県)と下野国(栃木県)にまたがる領地を持っていましたが、常陸国下館は栃木県ではなく茨城県です。


というわけで、倉敷市玉島にある「羽黒神社の奉納物」が日本遺産の構成文化財になったお話でした。

 

くらしき日本遺産トリップ

倉敷市HP日本遺産推進室

倉敷市HP「常陸国下館(現在の栃木県)」のページ

日本遺産ポータルサイト

北前船 KITAMAE 公式サイト

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