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板谷波山生誕150年 波山検索ファイルVol.1家族の肖像/広報筑西People 令和3年5月1日号

こんにちは、みなさんお元気ですか?
さて、ここ茨城県筑西市は、陶芸家・板谷波山先生(文化勲章受章者、茨城県名誉県民、筑西市名誉市民)の出身地です。そして来年令和4年は、その波山先生の生誕150年という節目の年。これを記念して、市の広報紙Peopleが波山先生の記事を連載していますので、前回に引き続きご紹介します。

広報筑西People令和3年5月1日号掲載

シリーズ 板谷波山 生誕150年
一木努(いちきつとむ)の
波山検索ファイル Vol.1「家族の肖像」

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本市出身の文化勲章受章者 陶聖「板谷波山
明治5年(1872)に旧下館町に生まれた波山は、令和4年(2022)に生誕150年を迎えます。
陶芸の道に大きな足跡を残した波山。
波山の数々の作品やエピソードを、荒川正明さん、一木努さん他の皆さんで12回シリーズで紹介します。

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上写真の板谷家のみなさんをご紹介しましょう。
前列の左から二人目の少年がこのシリーズの主人公板谷嘉七(かしち)・のちの波山です。左が母親の宇多、右に父親・三世板谷善吉、隣のもう一人の少年が、二つ違いのお兄さん。 右端が姉婿 (四世善吉)で、後ろは4人のお姉さん方。このほかに早世した3人の兄姉もいましたから、波山は3男6女の末っ子ということになります。
この家族写真はいつどこで撮られたのでしょうか。よく見ると、後列右側の二人は赤ちゃんを抱いています。左の子は明治11年7月、右の子は明治12年元旦の生まれ、また明治12年の7月には波山の祖父・二世善吉が、そして3年後には父親も亡くなっています。
装いも含めて推測すると、明治12年の正月に撮影されたと考えていいでしょう。生涯多くの写真を残してくれた波山ですが、これが最年少6歳の貴重画像です。それだけではなく、この町でこれ以前に撮影された写真は他に見当たりませんから、とても重要な郷土の最初期の写真なのです。
では撮影場所はというと、背後の堂々とした黒漆喰の大扉から、 波山の実家「板善」の土蔵前に違いありません。(下写真:往時の板善)

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「板善」は現在の波山記念館の地で醤油醸造や荒物を扱う商家でした。現存するのは住居部分だけですから、往時の豪商ぶりは窺えません。しかし当地出身で陸軍落下傘部隊の創設者・河島慶吾(かわしまけいご)氏の撮影と伝えられる昭和7年頃の航空写真(下写真)が、屋敷の全容を教えてくれます。

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①が現存する波山生家、②が店蔵と袖蔵 、③は庭園、そして④が土蔵です。ここに家族が整列、世間に先駆けての写真撮影という張り詰めた空気の中、シャッターは切られたのでしょう。
さて、家族写真の右下には高卓に載せられた盆器が写っていますが、これは父親のアイデアと思われます。商人ながら半癡(はんち)の号を持ち、絵を描き、茶道をたしなみ三味線も弾けば和歌も詠む、さらには建築設計までこなす才人だったのですから。
一方、お婿さんは弓を携えています。義父が「文」なら自分は「武」ということなのでしょうか。ちなみにこの義理のお兄さんが年を重ねて80歳を超えたことが、波山の鳩杖贈呈のきっかけとなります。
時代の先を行く、豊かで風流な家風を伝えてくれる写真に、お行儀よく納まる嘉七少年、膝の上に組まれたこの手が、やがて古今東西誰も追いつけない、珠玉の陶芸作品を生み出していくのです。
文 下館・時の会代表一木努さん


花ものがたり 五月皐月 
芥子(けし)
文・学習院大学教授 荒川正明(あらかわまさあき)さん
光彩磁草花文花瓶(ほこうさいじそうかもんかびん)板谷波山
大正 6 年(1917)
高さ26.8㎝ 胴径24.3㎝
出光美術館

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波山の作品でも良く知られた秀作です。
作家の瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)さんは「波山の作品はとても上品な作品で、しかもぞくぞくするほどの色香も漂ってくる。本当にすごい陶芸家なのね」と語っていました。
この花瓶は波山が 45 歳の作で、男盛りの頃のものです。2002 年に近現代の陶磁器として初の重要文化財に指定された波山の大作「葆光彩磁珍果文花瓶(ほこうさいじちんかもんかびん)」も、この花瓶と同じ年にできていました。
一方、本作は純白の器面には草花文様が軽やかなダンスを踊るがごとく、可憐な作風に仕上げられています。この草花は、みなさんからチューリップの花のようと言われていますが、じつは芥子の花のイメージをもとにしたものでした。西洋のアール・ヌーボースタイルの影響もあり、S 字形の優美な曲線には息をのみます。
驚くべきことは、この花瓶ができてすでに百年近い歳月が流れていること。おそらく同じ頃に出来た建物は、もうずいぶん古ぼけてしまっていることでしょう。しかし波山の作品には全く古臭さを感じず、まるで現代の作品のように、今でもみずみずしい光を放っているのです。


波山ニュース
波山記念館に学芸員が着任

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橋本空樹(はしもとうつき)さん
実践女子大学文学部美学美術史学科卒業。令和3年、同大学大学院 文学研究科美術史学専攻 修士課程修了。4月より板谷波山記念館学芸員として採用。
「今年度から(公財)波山先生記念会の学芸員として、波山記念館に勤務しています。まだ日は浅いですが、とてもアットホームな環境で働かせて頂いています。
波山は己に厳しく、作品への妥協を許さなかった一方で、人に優しく、下館を愛した人物でした。全国に波山の名品は沢山ありますが、人間・板谷波山の真の姿はこの記念館に残されています。来年、生誕 150 周年を迎える波山を一緒にお祝いしませんか?きっと喜んでくれると思います。」

問・しもだて美術館 電話23−1601


というわけで、広報筑西People令和3年5月1日号、板谷波山生誕150年記念の連載記事でした。

 

 

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