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川島河岸銅版画案内板建立記念 除幕式&川島まち探検シンポジウム

こんにちは、みなさんお元気ですか?

さて、記事にするのが大変遅くなりましたが・・・

昨年(令和5年)10月29日(日)、茨城県筑西市のJR川島駅前で、「川島河岸(かし)銅版画案内板建立記念 除幕式&川島まち探検シンポジウム」が開かれました↓

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川島河岸銅版画案内板建立事業は、市内を流れる鬼怒川に明治まで存在した、船着場であり物流拠点の「川島河岸」を紹介する案内板を建立し、かつての川島の賑わいを後世まで伝えようとするものです。

川島在住で筑西ふるさと大使の並木勝利さんが、明治25(1892)年発行の「大日本博覧図」に掲載された銅版画「川島東京間早船貨物運漕 各地鐵道川船貨物積替運漕所」の存在を知った事が切っ掛けで、地域住民による川島河岸銅版画プロジェクトを結成。市教育委員会文化課(現:生涯学習課)などと協働し、筑西市の合併振興基金活用事業補助を受けて、JR水戸線川島駅前(人面土器レプリカ隣)と河岸跡地に建立しました。

江戸時代、鬼怒川は東北地方や北関東と江戸を結ぶ物流の中心であって、46カ所もの河岸が存在したといい、川島河岸もそのひとつ。銅版画は明治末期の河岸を描いたもので、舟積みする荷物の保管を手がけた河岸問屋「川島運漕店」や河岸で働く人々の姿をはじめ、明治22年(1989)に開通した水戸鉄道を走る蒸気機関車や伊佐山駅(現在の川島駅)、更には引込線のトロッコなどを描いた鳥瞰図で、当時の河岸の賑わいを描いた貴重な史料と言えます。

除幕式当日はあいにくの小雨。それでも大勢の市民が集まりました↓

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まずは川島祭りばやし保存会や下館西中学校管弦楽部が、お囃子やファンファーレで案内板の完成を祝福↓

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そして、案内板のお披露目です。曳綱(ひきづな)役は、明治時代に川島運漕店を経営した池羽雄吾氏のひ孫で池羽家22代当主の啓次さん、須藤茂筑西市長、田所嘉徳衆議院議員福島伸享衆議院議員、地元の子どもたち↓

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こちらが案内板の内容です↓

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ちなみに、案内板前に配置された4つの石に刻まれた「川」「島」「河」「岸」の文字は、池羽家啓次さんによるもの↓

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なお川島駅前での除幕式の後、近くにある市役所川島出張所で、川島河岸についての理解を深める「川島まち探検シンポジウム」が行われ、こちらも大勢の市民が参加しました。


また、除幕は行われませんでしたが、少し離れた川島河岸跡地に建てられた案内板がこちらです↓

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というわけで、「川島河岸銅版画案内板建立記念 除幕式&川島まち探検シンポジウム」のお話でした。
 

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