こんにちは、みなさんお元気ですか?
さて、記事を書くのが遅くなってしまい恐縮ですが・・・
令和5年(2023)6月24日(土)、茨城県筑西市内にある羽黒児童遊園(羽黒神社南)で、矢野亮先生顕彰碑の除幕式が執り行われました。
矢野亮さん(本名・三上好雄 明治43年〜昭和61年)は、ここ筑西市(旧下館町)出身で、「夕焼けとんび(歌・三橋美智也)」や「おーい中村君(歌・若原一郎)」、「唐獅子牡丹(歌・高倉健)」など昭和歌謡の名曲
を手がけた作詞家。顕彰碑は、地元の有志が組織する矢野亮先生顕彰会(赤荻利夫代表)が、市の合併振興基金活用事業補助金を受けて建立したもので、矢野さんの肖像や↓
代表作である「夕焼けとんび」の一節↓
「夕焼け空がマッカッカ とんびがくるりと輪を描いた ホーイのホイ」
昭和33年の歌だそうです。もちろん、わたくし臣(しん)はまだ生まれていません。
手掛けた作品名の数々も刻まれています↓
除幕式には、須藤茂市長、矢野さんのお子さん3人や親族、関係者など約35人が出席。須藤市長と長男の三上路生さん夫妻、顕彰会の赤荻代表の手により、記念碑が公開されました↓
報道によると、矢野さんは開業医の三上文七、はつ夫妻の3男として真壁郡下館町甲に誕生。下館小学校から旧制下妻中3年生の前期まで下館に在住しましたが、文七が関東大震災の被災者救護で上京したのを機に家族で都内へ転居したそうです。
明治大学を卒業後講談社に入社、同社傘下のキングレコードのディレクターとなり、そこから作詞家の道へ。生涯に1,000曲以上を作詞し、900曲以上がレコード化されました。またその功績により、勲四等瑞宝章を受章しています。
ちなみに、矢野亮先生顕彰碑が建立された羽黒児童遊園には、一時期を市内川島で過ごした事がある明治の天才画家・青木繁の碑や、大東亜戦争中に下館に疎開していた作詞家でフランス文学者の西條八十作詞による下館音頭の歌碑が建てられています
というわけで、みなさん、筑西市(下館)にこんな方がいた事をご存知でしたか?
筑西市公式ホームページ