八幡神社の檜(伊達行朝朝臣ガ遺樹)

こんにちは。
緊急事態宣言が解除された新型コロナウイルスですが、6月2日には東京都から、警戒を呼びかける「東京アラート」が出されています。まだまだ油断は禁物です。

さて、話は変わって・・・
少し前に記事にさせていただいた八幡神社(伝・伊達朝宗奉斉)の桜の続きです。

こちらが茨城県筑西市中舘にある八幡神社の境内(写真を撮ったのは4月なので、まだ桜が咲いています)↓

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境内の案内板には、前回記事にしたように「文治年中 伊佐朝宗(伊達氏の祖)は伊佐城主となった時、諏訪・八幡両神社を奉斎し、守護神として、累代崇敬した」と記されています。
伊佐朝宗は、一般には伊達朝宗として知られる伊達氏の祖。吾妻鏡に見える常陸入道念西が朝宗にあたるとされています。

こちらが拝殿↓

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本殿覆屋(上屋)↓

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そして本殿↓

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この八幡神社には、創建に関わる伝承のほかに、檜にまつわる伝承が残っています。
こちらが檜↓

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残念ながら明治7年に火災にあい、現在は、焼け残った部分が本殿北側に残されています。

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檜の案内板(境内の案内板とは別)には、『伊達行朝勤皇事歴』をひいて、以下のように記されています↓

檜の由来
諏訪八幡両社、城址ノ南ノ方ニアリ、延寶廻見覺書二、「南之方、大手口之由申候側二、諏訪八幡之両社御座候、行朝様御建立之由申傳候、此両社之後に、檜之大木一本御座候、此神木ニ、色々奇怪之説を申候、」トアリ、村老、田所八郎平ノ談二、「此扁柏(ヒノキ)ハ、昔シ、伊達様、伊佐ヨリ奥州へ御出陣ノ時、扁柏ノ一枝ヲ、倒シマニ地ニ指サレテ、我ガ行末ノ武運開クルナラバ根ヅケ、ト言ハレタリシガ、遂ニ根ヲ生ジタルモノ、此樹ナリ、サレバ、此樹ノ枝ハ、悉ク下ノ方ヘ垂リ生ヒテアリキ、サルニ、明治七年陰暦十月二十日、恵比須講ノ翌暁、火ニ罹リテ焼失セリ、巨大ナル樹ノ焼クルナレバ、下館町邊ノ者モ、遥ニ大火ナリト見テ、来テ消防シテ、根株ノミ残レリ、元来根ノ處、洞穴ノ如クナリテ、乞食ナド住ミテ居タレバ、ソレラガ焚ケル火ヨリ起レルナルベシトイエリ、両社現存シテ、社後ニ接シテ、大根株ノ半圓形ヲ成セルヲ存セリ、高サ、三丈許、圍ミ五六人抱ハアルベク、五百年以上ノ樹タル〈コト〉疑ナシ、枯枝モ存シテ、下垂セル状、正ニ認メラル、行朝朝臣ガ遺樹ノ滅セシ〈コト〉慨スベシ、元文元年五月、朝臣ガ十五世ノ孫、仙臺中将吉村朝臣、此ノ伊佐ノ舊蹟ニ来ラレシトキノ観音寺ノ記ニ、「御氏神、諏訪八幡ヘ御社参、云々、御神木檜、御覧」、ナドトモアリ、
明治三十三年 大槻文彦編(伊達行朝勤皇事麾)より転写
贈 有限会社 伊佐企画


城址」とあるのは、ここが南北朝時代常陸南朝の拠点の1つとして伊達行朝が戦った伊佐城跡といわれているからであり、「延寶廻見覺書」とは、4代藩主伊達綱村の命で仙台藩が先祖の旧跡を訪ねた際の報告書のこと。ここでは八幡神社を建立したのは伊佐朝宗(伊達氏の祖)ではなく伊達行朝とされていますが、いずれにせよ伊達氏当主による建立という伝承があることはかわりません。
また、「伊達様、伊佐ヨリ奥州へ御出陣」とは、伊達朝宗(常陸入道念西)が長子・伊佐為宗(常陸冠者為宗)などとともに、ここ常陸国伊佐郡から、源頼朝奥州合戦に出陣したことを指すのでしょう。或いは伊佐城陥落を前に、行朝が本拠地である伊達郡霊山城へ帰還したことを言っているのかもしれません。

なお、大正14年に書かれた『観音寺縁起と伊達行朝卿』も、八幡神社と檜について触れています↓

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一、中館の諏訪、八幡社 右両社は之又往時伊達家の創立と傳へられたり。社殿の後に檜の大なる枯株あり。右は伊達様奥州出陣の折、我が武運開くならば根付けとて扁柏の一種を倒にさヽれしに遂に根を生じ各枝何れも下向に出てありしと云ふ。惜しむべし明治七年陰暦十月廿日惠比須講の翌暁火を失し枯死せり。現在の形洞穴の如く丈三寸斗り根幹五六人にて抱へらる程の大樹なり。五百年以前のものなりしと疑ひなし。觀音寺舊記にも吉村、重村両公とも當寺へ御参詣の折社参あり。御神木檜御覧などの記事あり。又伊達家延寶年間回見録には南の方大手口の由申候、側に諏訪、八幡の両社御座候、行朝様御建立の由申し傳候、此両社の後に檜の大木一本御座候、此神木に色々奇怪の説を申候云々」とありと云ふ。されば往時の舊蹟を語る唯一の記念樹なり。(『觀音寺縁起と伊達行朝卿』大正十四年春日 茨城縣眞壁郡中村大字中舘 施無畏山觀音寺執事)


『伊達家延寶年間回見録』は前述の『延寶廻見覺書』のこと。観音寺詣の折に八幡神社にも社参したという「吉村、重村両公」とは、仙台藩5代藩主の伊達吉村、7代藩主の伊達重村です。

 

というわけで、茨城県筑西市中舘の八幡神社にある欅のお話でした。

 

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