こんにちは。
今この時も新型コロナウイルスと戦う医療従事者のみなさん、関係者のみなさんに敬意を表します。
さて本日は、以前記事にした中舘観音寺(施無畏山延命院観音寺)の観音堂の続きです。
観音堂から山門へと続く参道の途中には、平和祈念塔が建つ広場が整備されています。
その広場を通り、東を流れる勤行川(五行川)の河岸へと降りた所にあるのが、こちらの延命水↓
延命院の名前の由来とされ、現在も僅かながら水が涌き出ています。
延命水付近に建つ石碑↓
延命水縁起
今ヲ去ル千三百有餘年前 人皇廿一代 用明帝 御宇 梁國傳法化人独守居士法花縁ノ地ヲ求メ當所ニ来リ観音ノ霊像ヲ安置ス 時ニ疫難発リテ死スルモノ多シ、居士之ヲ救ハント祈願スルニ清泉沸然トシテ湧出シ呑一者忽チ癒ヘリ 云フ後 孝徳帝ノ御代霊験アリ 叡感浅カラズ延命ノ嘉称ヲ賜フト傳ヘラル
當山四拾世照玄代
昭和十三年秋日 岡芹 金戸巌建之
中館観音延命水の由来
中館観音寺は施無畏山延命院(せむいざんえんめいいん)と号し、本尊を国の重要文化財に指定されている延命観世音菩薩(えんめいかんぜおんぼさつ)の木像であるが、この本尊の「延命」の由来については「中館観音寺縁起」によれば、今から千三百余年前、用明天皇のとき梁(りょう 中国)の帰化人である法輪独守居士(ほうりんどくしゅこじ)が、仏像を背負って有縁の地を求め、各所を遍歴していたが筑波連峰を一望に、清流の調べ豊かな中館の台地に安置したことにはじまる。
当時この地方に悪疫が流行し死者が続出していた。そこで独守居士が、山東の石上において悪疫退散の祈願を行なうと、不思議にも清泉が怫然として沸き出で、この水を飲むものはたちまち悪疫が治ったといわれる。
その後孝徳天皇の時にも再びあらたかな霊験があり天皇の叡感(えいかん)により「延命」という称を賜ったという。
平成五年三月三十一日 下館市
悪疫を退散させ、孝徳帝から嘉称を賜ったという延命水ですが、残念ながら、現在は飲むことが出来ません↓
こちらが、観音寺の東側を流れる勤行川(五行川)↓
観音寺は、鎌倉御家人である伊佐氏の伊佐城があった場所だとされていて、南北朝時代に南朝側として伊佐城で戦った伊達家7代当主・伊達行朝を供養するための法華三昧が、600年以上前から続けられています。
この法華三昧を行う際に、勤行川(五行川)で水垢離(みずごり)の勤行を行ったことが「勤行川」の名前の由来になったといいます。
勤行川(五行川)の河岸レベルから見た伊達行朝廟↓
なお、勤行川(五行川)の河岸の緑地帯は、茨城県の「子どもいきいき自然体験 フィールド100選」に選ばれています↓
実際、わたくし臣(しん)が訪れたこの日も、ウグイスを始めたくさんの鳥の声を聞くことができ、清々しい気持ちになりました。
というわけで、中舘観音寺(施無畏山延命院観音寺)の国指定文化財・木造観音菩薩立像(寺伝延命観音像)に続きます。
■このブログで紹介したことのある観音寺とその周辺
「法華三昧」600年以上続く伊達行朝公のための法要
伊達行朝廟(筑西市指定文化財・史跡)
中舘観音寺の桜
中舘観音寺の山門
八幡神社(伝・伊達朝宗奉斉)の桜
中舘観音寺(の延命橋と堀跡
中舘観音寺の観音堂