大根田羽黒神社(常陸下館七羽黒)

こんにちは。
特別措置法に基づく緊急事態宣言が全都道府県で解除された新型コロナウイルス。とはいえ、いつ第2波がやって来るかわかりません。まだまだ油断は禁物です。

さて、話は変わって・・・
わたくし臣(しん)が住む茨城県筑西市。その市街地のほぼ中心にある大町(筑西市甲)には、羽黒神社が鎮座しています。

この大町の羽黒神社は、文明13年、初代下館城主の水谷勝氏(みずのやかつうじ)公が、領内安堵のため日頃尊崇していた出羽国(山形県)羽黒権現を勧請したものとされています。
常陸国下野国にまたがる水谷領内には、この大町の羽黒神社を筆頭に多くの羽黒神社が建立され、吉数である7を用いて七羽黒と呼ばれました。また一説には、結城七社を模した(『茨城県神社誌』口戸羽黒神社の項「出羽羽黒山の御分霊を迎へ結城七社を模して鎮斎した」)とも言われています。

そして本日ご紹介するのは、その七羽黒のひとつ、大根田羽黒神社

f:id:UncleAlbert:20200527082618j:image

f:id:UncleAlbert:20200527083126j:image

大根田羽黒神社があるのは、茨城県ではなく栃木県真岡市(常陸国ではなく下野国)。ここ大根田は江戸時代、下館領だったのです。
下館市史』に掲載されている「下館藩五万石村々石高帳 寛永十六年己卯改」(田宮家文書)にも、下館領のひとつに大根田村が記載されています。

由緒沿革を記した境内の石碑↓

f:id:UncleAlbert:20200527083142j:image

下館藩七羽黒神社の一社
大根田 羽黒神社縁起
祭神
大己貴命 おおなむちのみこと (大国主命)
規模様式
本殿流造、間口六尺、奥行八尺七寸
境内面積
634平方メートル
由緒沿革
天文十四年(一五四五年)に、下館藩主水谷みずのや出羽守政村入道蟠龍斎(六代)が宇都宮勢に抗するため、久下田(公営田)城を築城し、同時に軍事上の役目をかね、領土の守護神としてここ大根田と口戸に羽黒神社を勘請致しました。
慶長十二年(一六〇七年)、家臣の九代上野庄蔵藤原栄信は、大根田に移住し、寛永十六年(一六三九年)に下館藩主水谷勝隆(八代)が備中松山に移封した時には、帰農して再建を行っている。天保二年(一八三一年)に二十一代上野徳蔵藤原栄晴は修復を行ったが、二十五代上野徳蔵の時、昭和三十三年七月二十三日の駿河湾台風十一号により本殿が倒壊し、石の社で三十七年間守り伝えてきた。
二十六代上野義近は先祖の意志を継ぎ、平成七年十二月九日に再建し、本殿造営正遷座祭を行った。
平成七年十二月吉日
上野義近 謹誌


平成七年に建てられたという本殿↓

f:id:UncleAlbert:20200527083331j:image

f:id:UncleAlbert:20200527083414j:image

まつられているは、こちら↓

f:id:UncleAlbert:20200527083517j:image

観音様でしょうか。石碑には大己貴命が御祭神と書かれていますが、実際にまつられているのはこちらです。

観音菩薩は仏様。おそらくこの観音様は、明治の神仏分離までは、羽黒神社(羽黒権現)の別当寺の御本尊だったのではないでしょうか。それほど広い境内ではなさそうなので、もしかしたら神社と別当寺の建物が一体だったのかもしれません。

御神体(御本尊?)の横には、出羽三山(出羽神社月山神社湯殿山神社)の御神札が見えました↓

f:id:UncleAlbert:20200527083542j:image

石碑によるとこの大根田羽黒神社は、水谷勝隆の転封にともない帰農したという上野庄蔵藤原栄信の子孫の方が、今も祭祀を守られているようです。
この上野氏について少し調べてみると、茨城県大田村(現筑西市)の杉山三右衛門が常陸国に関する史料をまとめた『常陸國係 杉山私記』(明治27年)に、それらしい記述を発見しました。
『私記』には、「水谷伊勢守勝隆之普代の侍」として、「上野庄助、同忠兵エ、同伊豆、同因幡、同三右エ門、同内記、同三左エ門、同庄之助、同佐十郎」といった、上野を名乗る家臣が見えます。
特に「上野庄助、庄之助」については、石碑の「上野庄蔵藤原栄信」と「庄」の文字が共通しており、はっきりとはしませんが、近親者あるいは同一人物なのかもしれません。
上野氏が藤原姓を名乗っているのも気になります(水谷氏も藤原姓)が、いずれも詳しいことはよくわかりません。

 

というわけで、大根田羽黒神社のご紹介でした。


■このブログで紹介した筑西市内の羽黒神社
羽黒神社(下羽黒神社)
・上羽黒神社
・外塚羽黒神社
・口戸羽黒神社


厚生労働省