Hatena Blog版・筑西歳時記~ここは茨城、筑西(旧下館)市

筑西市を紹介するブログ「筑西歳時記」のHatena Blog版です

幻の小林(おばやし)羽黒神社(常陸下館七羽黒か??)

こんにちは、みなさんお元気ですか?

さて本日は久しぶりに、歴史と文化財のお話です。

ここ茨城県筑西市の大町(筑西市甲)には、文明3年、初代下館城主の水谷勝氏(みずのやかつうじ)公が出羽国(山形県)羽黒権現を勧請したとされる羽黒神社が鎮座しています。また大町の羽黒神社を筆頭に、水谷領内に多くの羽黒神社が建立され、七羽黒と呼ばれました。

現在一般に言われている七羽黒は、①羽黒神社(大町)、②上羽黒神社(岡芹)、③下岡崎羽黒神社(下岡崎)、④外塚羽黒神社(外塚)、⑤竹島神社(稲野辺)、⑥口戸羽黒神社(口戸)、⑦大根田羽黒神社(真岡市大根田)、の七社。
ただし、以前の記事「七羽黒とは何処を指すのか」で書かせていただいたように、羽黒神社は旧下館市内に7社以上あり、
・多良棒(下中山)
・小林(おばやし)
・御本丸八幡宮の相殿(本城町)
の3社については、過去に七羽黒に含まれていた可能性があるのです。

また同記事では「小林(おばやし)」の羽黒神社について、『「小林」は、竹島神社がある稲野辺に隣接しています。明治44年、竹島村内にあった羽黒神社を含む無格社は、村社である稲荷神社と合併し、その後竹島神社に改称しました。当時「小林」は竹島村に属していたので、あるいは稲荷神社との合併で失われた羽黒神社は、この「小林」にあったのかもしれません』と書きました。

しかし先日・・・
下館市発行の広報下館をまとめた、「広報下館縮刷版」という本を何気なくめくっていると↓

f:id:UncleAlbert:20211222100809j:image

1995年に発行された、広報下館Vol.474の↓

f:id:UncleAlbert:20211222101128j:image

「ふるさとよもやまばなし」と言うコーナーに↓

f:id:UncleAlbert:20211222140315j:image

稲野辺本郷集落の話が載っていて、羽黒神社についても触れられているのを発見しました↓

記事の内容は、稲野辺本郷在住者へのインタビュー。その中のおひとりが、「七羽黒のひとつが、かつては、ムラ(注:稲野辺本郷)の中にあったんだそうです」と話しています。

この証言者は1995年(平成7年)当時71歳だったので、計算すると、生年は1924年(大正13年)くらい。一方、竹島村内にあった羽黒神社が稲荷神社と合併したのは、明治44年(1911)です。稲野辺も当時、竹島村の一部でした。

「よもやまばなし」の証言者が生まれたのは、神社合併から13年も後のことなので、書かれている内容はあくまで伝聞情報でしょう。ただし、リード部分で取材者は、七羽黒のひとつがあった場所を「集落の北側」と特定しています↓

おそらくインタビューに参加した方々は、ご両親なり近所の人たちから、「集落の北側」にあった神社の話を聞いていたのだと思います。であれば、それなりに信憑性がある証言です。やはり竹島神社に合祀された羽黒権現は、稲野辺にあったようです。

ただしその場合、「小林(おばやし)」にあったという羽黒神社は別の神社という事になり、その所在が不明になってしまいます。
本当に小林にも羽黒神社が存在したのでしょうか。今のところ小林の羽黒神社について言及しているのは、文久元年(1861年)に清龍寺隠居日想庵寛海が記したという『下館惣鎮守羽黒大権現勧請之由来書』(私は実物未見)だけのようなので、他に何かしらの裏付けが欲しいところです。
幻の小林羽黒神社について、ご存じの方はぜひご一報願います。


というわけで、もうすぐお正月です。お近くにお住まいのみなさん、機会があれば常陸下館七羽黒をめぐってみてはいかがでしょうか。

 

 

■このブログで紹介した羽黒神社
羽黒神社(下羽黒神社)

・上羽黒神社
・外塚羽黒神社
・口戸羽黒神社
・大根田羽黒神社
・下岡崎羽黒神社
竹島神社

・多良棒羽黒神社

・下館城御本丸八幡宮の相殿・羽黒権現

女方羽黒神社

 

茨城県筑西市下館大町の羽黒神社から七羽黒を考える

 

七羽黒をめぐるルート/ちゃりさんぽ公式ホームページ


はてなブログ