こんにちは。
早いもので、今年ももう7月となってしまいました。。3密を避けて、新型コロナウイルス禍を乗り越えましょう。
さて話は変わって・・・
今日は、以前記事にした中舘観音寺(施無畏山延命院観音寺)の延命水の続きです。
観音寺があるのは、鎌倉御家人の伊佐氏の居城・伊佐城があったといわれる場所。伊佐氏は仙台伊達氏の源流の氏族で、常陸国伊佐郡(現在の筑西市の一部)を治めていたされる常陸入道念西(伊達家では念西を伊達朝宗に比定)が、源頼朝による奥州征伐で息子たち(吾妻鏡によれば、常陸冠者為宗、同次郎為重、同三郎資経、四郎為家)が手柄を立てた事により伊達郡を拝領、次男の為重などとともに伊達郡に下ったのが伊達氏の始まりだとされています。この時、本領の伊佐郡は長子の常陸冠者為宗(伊佐為宗)が継ぎました。
こちらは以前ご紹介した、境内にある観音堂↓
観音堂の中を覗くと、正面に小さな仏像が一体確認できます↓
この像はいわゆる御前立。御前立とは、寺院の秘仏や御本尊の前に安置して、かわりに礼拝するための仏像のことです。
そしてこちらが、普段は非公開となっている国指定重要文化財の木造観音菩薩立像〈(寺伝延命観音像)/(観音堂安置)〉↓
施無畏山延命院(せむいざんえんめいいん)観音寺の本尊、鎌倉時代の作で、別名延命観音とも称します。
本躰は木造寄木造、光背(こうはい)、台座付きで、腰を僅かに捻り左足を出して立ち、裳は両足首にかかり、光背は輪光(りんこう)、台座は蓮華四重座です。
像高102.2cm、光背総高109.1cm、輪光径33.9cm、台座総高33.6cmです。胎内背部に貞治2年(1363)修理の墨書銘(ぼくしょめい)、享保元年(1716)修理の木札があります。
大正11年4月13日国宝に指定され、昭和25年8月重要文化財に指定、昭和37年京都国宝美術修理所において補修されました。
観音菩薩立像の背部には貞治2年修理の墨書銘が、胎内からは享保元年の墨書銘札が見つかったそうです。その内容は以下のとおり↓
【貞治2年(1363)の銘】
大壇那律師巌祐
常州伊佐郡帷郷延命寺於貞治弐年癸卯孟春天奉修理也
勧進聖阿闍梨祐尊兵庫亟平有重
【享保元年(1716)の銘札】
奉再興常州真壁郡中館村延命観音 台座後光持物天冠新規 仏師京都細川刑部 享保元年丙申天七月仏歓喜日 本願主観音寺第二十五世竪者法印義処
この2つの銘から色々な事がわかったり、想像できるのですが、それについてはまたいつか、後日記事にさせていただきたいと思います。
というわけで、中舘観音寺(施無畏山口延命院観音寺)の国重要文化財・木造観音菩薩立像〈(寺伝延命観音像)/(観音堂安置)〉とその周辺①でした。
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