Hatena Blog版・筑西歳時記~ここは茨城、筑西(旧下館)市

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板谷波山記念館の御神札

こんにちは。
早いもので、6月も下旬となってしまいました。3密を避けて、新型コロナウイルス禍を乗り越えましょう。

さて、茨城県筑西市出身の陶聖・板谷波山先生(陶芸家・工芸界初の文化勲章受章者)の顕彰を目的に開館中の板谷波山記念館↓

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今回の記事は、先日ご紹介させていただいた作業棟に展示されている御神札についての続きです。

板谷波山記念館には、県指定文化財の生家や作品などの展示棟、東京都北区田端の波山宅から移築されたろくろなどを展示して作業場を再現した作業棟などが整備されています。

こちらがその作業棟↓

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先日もご紹介した、田端から移築された「三方焚口倒焰式丸窯(さんぽうたきぐちとうえんしきまるがま)」、通称「夫婦窯(めおとがま)」です↓

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そして、羽黒神社の御神札(ごしんさつ)が祀られた神棚↓


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羽黒神社御祈祷之真璽」と書かれていることから、比較的新しい御神札と考えられます。なぜなら明治の神仏分離以前であれば、「羽黒神社」ではなく「羽黒権現」と書かれている可能性が高いからです。

こちらが問題の御神札の数々。特に解説があるわけでもなく、無造作に並べられているように見えます↓

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羽黒権現、千妙寺(元三大師がんざんだいし)、大宝八幡など郷里茨城の社寺のほか、成田山新勝寺の御札も見受けられます。

羽黒権現」と書かれた御神札です↓

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高い所にあるために一部文字が隠れて見えませんが、「清滝■」とあるのは、羽黒権現別当寺であった「清滝寺」のことでしょう。つまりこの御神札は、明治の神仏分離令に端を発し、「清滝寺」が廃寺となる前のものではないかと考えられます。

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写真を撮りっぱなしで確認を怠っていたので気がつきませんでしたが、右の御札には山号の「三峯山」、寺号の「高雲寺」、更に年号らしき文字が「弘化四未年」と書かれているようにも見えます。↓

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「三峯山高雲寺」が何処にある寺なのか、詳しいことはわかりません。「弘化」は1845年から1848年までで、弘化3年には明治天皇の父である孝明天皇が即位しており、迫り来る幕末の足音が聞こえようかという頃です。波山先生は明治5年(1872年)の生まれですから、それ以前の年号がある御札は、先生以外の誰かがいただいたものと言う事になります。

この事をどう解釈すべきなのでしょうか。波山先生は、下館の実家にあった自分が生まれる前の御札をわざわざ持ち出して、田端に祀っていたのか。わたくし臣(しん)は、これまでこの作業棟に展示されているものが、全て田端の波山邸から運ばれてきたと思い込んでいました。しかし、これらの御札はずっと下館の板谷家に祀られていて、作業棟建設時にここに展示されたと考えるのが自然なような気もします。正確なところはよくわかりませんが・・・。

とりあえず確認できるのは、古い時代の羽黒神社の御神札には「羽黒権現」「清滝(寺)」と書かれたものがあるという事実です。つまり、その時代に祀られていたのは、羽黒神社の由来を解説する時によく登場する「羽黒大神」ではなく「羽黒権現」であり、御神札を下賜していたのは大別当清滝寺」だったのです。


というわけで、板谷波山記念館の御神札のお話でした。みなさんもぜひ、記念館で実物をご確認ください。

 

板谷波山記念館
開館時間:午前10時~午後6時
入場料:210円、団体160円、高校生以下無料(しもだて美術館との共通券あり)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
場所:茨城県筑西市甲866(下館駅から徒歩9分)TEL0296-25-3830


板谷波山記念館公式サイト