Hatena Blog版・筑西歳時記~ここは茨城、筑西(旧下館)市

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新春対談 板谷駿一さん✕荒川正明さん✕一木努さん✕須藤茂市長(広報筑西People令和4年1月)

こんにちは、みなさんお元気ですか?
さて、ここ茨城県筑西市は、陶芸家・板谷波山先生(文化勲章受章者、茨城県名誉県民、筑西市名誉市民)の出身地。そして今年(令和4年)は、その波山先生の生誕150年という節目の年です。これを記念して、市の広報紙Peopleが波山先生の記事を連載しています。今回はVol.8に続いて新春対談をご紹介します。

令和4年 寅 新春対談

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今年は文化勲章受章者、板谷波山の生誕150年にあたることから、市では記念事業を開催します。そこで今回、波山に造詣の深い3人をお招きして須藤茂市長との対談を行いましたので、その様子を紹介します。対談者は、板谷波山の孫の板谷駿一さん、波山研究第一人者の荒川正明さん、下館・時の会代表の一木努さんです。

市長
本日みなさんには、ご多用の中お越しいただきありがとうございます。
今年は板谷波山生誕150年にあたることから、市では波山の魅力を全国に伝えるために、波山の名品を展示するなどの記念事業を開催します。
そこで、本日はその実行委員であるみなさんに波山への思いをお話しいただきたいと思います。まずは、人間波山、そして作品の魅力についてお話しいただけますか。波山のお孫さんである板谷さんいかがでしょう。


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命がけの作品製作故の激しい気性
板谷
若い時の波山は、激しいところがある人だったのではないかと思います。
陶芸家として良い作品だけを世に出したい。そのため、少しでもキズがあれば割ってしまう。だから作品の数は少なく、収入も少ない。貧しく苛酷で激しい、命がけの生活だったのではないかと思います。私の知っている波山は70代以降なのですが、本当に腰が低くて、誰に対しても、丁寧な優しい人になっていました。波山自身も、自分は気短かで、怒りっぽいところがあると自覚していて、それを直そうと反省メモを作り、何年もかけて、怒らない優しい人になろうと努力していたようです。
また、波山はユーモアやサービス精神を大事にする人でした。お客さんを自宅に招いて自ら台所に立ち、うなぎの蒲焼に笹を添えて出したり、キャビアだと思ったら、実は、ほうき草(コキア)の実を調理したものだったりするわけです。実は、うなぎの蒲焼は豆腐と海苔で作った精進料理の「もどき料理」なんですね。こんないたずらをして、みんなを喜ばせるのが、波山は大好きでした。

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市長
波山研究をされている荒川さんいかがでしょう。

藝術としての陶芸を確立
荒川
明治時代のやきものは、ほぼ輸出品として大量に生産されました。
その中で波山は藝術としての日本陶芸を、世界に冠たるやきものを創造するために、ある意味、国から特別に選ばれし人というか、責任を負わされたのだと思います。
また、皇室に献上する作品を専ら波山に作らせた事実は、波山に恥ずかしいものは出せないという命がけの仕事を強いることになったのではないでしょうか。

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市長
多方面から波山を調べている一木さんいかがでしょう。

故郷に対して出来ること
一木
波山は芸術家として、故郷に対して何ができるかを常に考えて、気負うことなく淡々とユーモアたっぷりに、楽しく続けていたことは、改めて驚きますね。板谷さんから、波山は激しい人というお話が出ましたが、観音像や鳩杖には、それが感じられないですよね。心の中で、どうやって気持ちの折り合いをつけ、静かに作品作りを進めていったのか、興味深いものがありますね。

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板谷
波山は、故郷がとても好きで、自分を培ったのは筑西(下館)の歴史や文化だという思いが強かった。波山が東京田端の高台に窯を築いたのも、ふるさとの山・筑波山が見えるからで、その姿を眺めては、 母のことや故郷のことを懐かしく思い出したと、NHKのラジオ番組で話しています。苦しい時も故郷を想い、心を温めていたのかもしれませんね。
波山の亡くなる直前の夢が、故郷に帰る夢で「小山から自動車で行こう」とか「もう川島に来たかな」などと、うわごとを言っていたといいます。波山にとってふるさと・筑西は、自分が往く彼岸であり、楽園だったのかもしれません。
市長
板谷さんは「知の巨人」と呼ばれる立花隆(たちばなたかし)さんとは級友だそうですが。
板谷
立花君とは、水戸の小中学校、大学でも同級生でした。彼はとても早熟で、小学校4年生くらいの時には、シェイクスピアの「ハムレット」や「ベニスの商人」とかを読んでいたり、小学校の図書室の本は全部読み、県立図書館にまで足を延ばしたりしている、そんな伝説まで生まれていました。
ユニークで才能があり、将来何かをやりそうなという感じは、ありましたね。一緒に徹夜で波山の窯焚きを手伝ったのも懐かしい思い出です。彼も波山から、

お小遣いをもらったはずですが「あの時、作品を貰った方が良かった」などと言っていました。その後、立花君は、波山展を見たり、荒川さんの本を読んで、さらに波山に興味を持ったようです。
市長
荒川さん、波山研究のきっかけは何だったのですか。
荒川
私は水戸の生まれで、父がやきもの好きで、しばしば展覧会に出かけ、波山はすごいぞと言っていたことを幼いながら覚えていました。
その後、考古学的な陶芸史を研究していたのですが、出光美術館学芸員として多くの波山の作品を見たときに、「陶芸の美」というものを改めて認識しました。明治時代に陶芸を藝術として見つめる波山の視野の広さには、いまだに学ぶべきことはたくさんありますね。
市長
一木さん、下館・時の会と波山はどのような関係なのですか。
一木
20年程前に下館・時の会は建物の保存ということで活動が始まりました。
ちょうどそのころ、波山没後40年の展覧会と波山の映画製作という話があり、その時にこちらにいるみなさんとのお付き合いが始まりました。
お付き合いの中で、波山の知られざることがたくさんあることに気づき、多方面から調べ始めました。そして、没後40年展覧会の前に、もっと多くの人たちに波山を知ってもらいたいという思いで「波山の夕べ」を開催しました。波山の夕べは、それから16回開催しています。

 

二人の文化勲章受章者を輩出したまち
市長
みなさんの波山に対する強い思い入れが伝わってきました。さて、話題は変わりますが、筑西は二人の文化勲章受章者を輩出しましたが、一方で、農産物が豊富な農業のまちです。この土壌から、二人の文化勲章受章者を輩出したこのまちを、どう感じていますか。
板谷
昔このまちは、綿を栽培して加工し、鬼怒川を使って江戸に出荷した。生産・加工・流通と三つ揃って富が蓄積し、町人文化が繁栄した。波山の芸術的な資質が、こうした土壌に育まれたことは、たしかだと思います。
現代の農産物は、ただお腹を満たすだけでなく、美味しいという価値が一層重要になっている。筑西には美味しい農産物が多く、それはまるで貴重な芸術品ですよね。今後それに加え、加工技術の開発やITを活用した宣伝、販売なども大事になってくるのではないでしょうか。

荒川
栃木県でもそうですが、農産物がたくさんあって、豪農豪商が核となり、江戸への流通が盛んになったという背景があります。そこに、文化人が集まりビジネスだけでなく、楽しみながら文化が育っていく文人文化の地盤があったように思います。
同じように、波山の名品を明治大正期には、このまちの人たちも持っていて、実質的にこのまちが波山を支えるという背景があったのではないかと思います。波山は、その点でもありがたいと感じていたのではないでしょうか。
経済と文化はパラレルで、どちらかがダメだとどちらもダメになってしまうと思います。文化は、経済がダメだと魅力がなくなってしまう。まちが素敵になって、みんなの教養が深まっていくと経済もよくなっていくのではないですかね。昔の下館にも同じような土壌があったのではないでしょうか。
一木
町民文化が栄えたというのは、周辺に穏やかないい農村部があり、そこが消費地であったり生産地であったり労働力の提供地であったりと、周りのおかげでまちが成り立っているのだと思います。まちが豊かになって、そこでまた町民文化が育つ。町民の文化は、地域全体の豊かさの賜物でしょう。
これからは、をまちの中心が周りに何ができるかを考えなくてはいけないと思います。波山は散歩が好きで、農村部へ行ってごくろうさまと頭を下げていたというエピソードをよく聞きます。波山はそのころから地域のあらゆる人たちを忘れることなく、心を砕いていたんでしょうね。
市長
そうですね。筑西は、農業・商業・工業がすべて揃っていますが、農業を中心としたまちは、人間の心を豊かにするのではないでしょうか。
波山は、この豊かな自然と筑波山を見て心豊かな人になったんじゃないのかなと思います。
「波山ここにありき」は、このまちと豊かな自然だからこそ、誕生したということではないでしょうか。
本日みなさんには、大変貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。
今年開催する記念事業は、みなさんのお力添えがなくては成功しません。どうぞ、ご協力をお願いします。
最後に、今年こそはコロナが終息し、市民のみなさんの笑顔が見られるような年になることを願います。
本日はありがとうございました。

板谷駿一(いたやしゅんいち)さん 波山先生記念会理事長、波山の孫、筑西ふるさと大使
■荒川正明(あらかわまさあき)さん 学習院大学文学部哲学科教授、筑西ふるさと大使
■一木努(いちきつとむ)さん 下館・時の会代表、歯科医師、多彩な郷土資料蒐集家

 

というわけで、広報筑西Peopleの板谷波山生誕150年記念の連載記事は、Vol.9に続きます。

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