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板谷波山生誕150年 検索ファイルVol.5初秋の宴/広報筑西People 令和3年9月1日号

こんにちは、みなさんお元気ですか?
さて、ここ茨城県筑西市は、陶芸家・板谷波山先生(文化勲章受章者、茨城県名誉県民、筑西市名誉市民)の出身地です。そして来年令和4年は、その波山先生の生誕150年という節目の年。これを記念して、市の広報紙Peopleが波山先生の記事を連載しています。今回はVol.4に続いて5をご紹介します。

広報筑西People令和3年9月1日号掲載

シリーズ 板谷波山 生誕150年
一木努(いちきつとむ)の
波山検索ファイル Vol.5「初秋の宴」

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親しい仲間との会食もままならないご時世ですね。
そこで今回は59年前、東京都田端の板谷波山邸で催された。すてきな夕食会にみなさんをご案内しましょう。

波山手書きの献立表

昭和37年(1962)9月22日、板谷波山家では(東陶会 とうとうかい、波山主宰の陶芸家のグループ)の人たちを招いての宴が予定されていました。
波山は自ら考えた献立と食器を厚紙に書いて、お手伝いさんに渡します。受け取ったのが住み込みでお手伝いをされていた長塚(ながつか)アイ子さん。その波山手書きの、献立表がこの夏、彼女の古い日記の間から、59年ぶりに出てきたのです(下写真)。f:id:UncleAlbert:20210915003754j:image

ちょっと難解なところもありますが、じっくりお読み、というより味わっていただきましょう。
前菜からデザートまでの11品。「ジブ」は「じぶ煮」で石川県の郷土料理、金沢時代の思い出の味なのでしょうか。甘いもの好きの波山、ちゃんと銘柄指定の饅頭で締めています。
添えられた絵にある器代わりの木の葉や、箸置きに草花を使う趣向は波山流。けっして豪勢でない、きめ細やかなおもてなしを尽くす波山ですが、この時すでに90歳。4年前にはまる夫人を亡くしています。
もう一人のお手伝いさんの渡辺朝子(わたなべあさこ)さんとともに3人で台所に立ち、味見をしながら指示をしていたとか。にぎやかな集いは9時ころまで続いたそうです。

シジミ椀の謎

献立表左下のシジミ椀、これがただものではありません。
波山はシジミの形状を模したこのお椀のスケッチを明治期に残していて、説明文には元禄3年(1690)の作、安政6年(1859)にまる夫人の実家である会津坂下鈴木家が購入とあります。
それを波山が譲り受けたのでしょう。昭和13年(1938)刊行の松田権六(まつだごんろく)・羽野禎三(はのていぞう)著「時代椀大観」(じだいわんたいかん)には、板谷波山所蔵の名椀として紹介されています。
そんな宝物が、惜しげもなく食卓に運ばれ、蓋を取ると湯気とともに本物のシジミが登場、みなさん喜ばれたでしょうね。
このシジミ椀は今も無事で、波山のお孫さんの村田(むらた)あき子さんが大切に保存されています(下写真)。

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さあ、そこで疑問がわきます。お椀は木、お椀の絵は紙です。
昭和20年3月の東京大空襲で波山の住まいは、工房もろとも全焼したはず。どうして、生きながらえることができたのでしょうか。
実は、波山は大事なものを、数々の名作を生んだあの窯の中に納め、封をして火災に備えていました。炎にめっぽう強い窯の壁が、300年以上前の波山お気に入りのお椀も、そして画帳も守ってくれたのです。記念館に移設された夫婦窯は、人知れず、もうひとつの大仕事をやってのけたのでした。
さて、「波山と食」を語るのに欠かせない、金沢の「じぶ煮」にも匹敵する(?)当地のあの郷土料理については、来年の初午のころに、また。
文 下館・時の会代表一木努さん


九月長月

文・学習院大学教授 荒川正明(あらかわまさあき)さん
彩磁延年紋様花瓶(さいじえんねんもんようかびん)板谷波山

大正10年(1921年)
高さ24.4㎝ 胴径23.1㎝
廣澤美術館蔵

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夏の暑さも峠を越え、ほっと一息、秋の候となりました。秋といえば果物ですね。
先日、我が家に福島の知人から白桃が届き、あまりの美味しさに、夏の疲れが一瞬で吹き飛んでしまいました。確かに、桃には古代から特別な霊力があると信じられており、若返りの薬ともいわれたようです。
ところで、歴史上一番高価な桃をご存じですか?それは古代中国で崑崙山(こんろんさん)に住んだ仙人の総元締め、西王母(せいおうぼ)の仙桃(せんとう)です。何しろ三千年に一度しか実らない超レアもの。しかも仙桃を食べると、永遠の命が保証され、当時この桃を手に入れたのは、中国漢代の最高権力者、武帝(ぶてい)だけだったとか。
さて、我らが波山、この西王母の仙桃を作品のなかに見事によみがえらせてくれていました。しかもこの花瓶には桃が二個。彼のサービス精神がうかがえます。
それにしても、芳醇(ほうじゅん)な桃の香が漂ってくるかのようなこの美しさ。桃のピンクを美しく表すため、当時、貧乏に苦しんでいた波山ですが、高価な顔料の塩化金を使い、勝負に出ます。そして仙桃の表現に見事成功したのでした。
ところで、西王母の誕生日は波山と同じ三月三日とか。
どうやらお二人、ご縁がありそうです。【問】しもだて美術館  電話0296-23−1601

 

波山ニュース
板谷波山記念館から
秋季特別展のお知らせ

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板谷波山記念館には平成23年(2011)に行われた、田端窯跡での発掘調査により採取された陶片が多く所蔵されています。
波山は納得できない作品を惜しげもなく割っていき、砕けた陶片の中には重要文化財レベルになるはずだったものや、今は完品としてみることがないものが数多く確認できます。
陶聖と呼ばれた板谷波山が、一作一作に全身全霊を傾け目指したかった境地とは、一体どのようなものだったのか?
波山生誕150年記念展のプレイベントとして板谷波山記念館では今年の秋に陶片をメインとした展覧会を開催予定です。
ぜひ、足をお運びください。

【問】板谷波山記念館  電話0296-25−3830

 

というわけで、広報筑西Peopleの板谷波山生誕150年記念の連載記事は、Vol.6に続きます。

 

筑西市ホームページ
板谷波山記念館公式サイト
しもだて美術館