大宝八幡宮の風鈴まつりと大宝城跡

こんにちは、みなさんお元気ですか?

本日の話題は、ここ茨城県筑西市のお隣・下妻市にある大宝八幡宮についてです。


大宝八幡宮大宝元年(701)、藤原時忠が筑紫国宇佐の八幡神を勧請し、創建したのがはじまりとされる関東最古の八幡宮下妻市立大宝小学校のすぐ北に鎮座しています。
その大宝八幡宮で、昨年に続き第2回目の下妻市観光協会補助事業「風鈴まつり ~千古の社に涼を求めて~」が開催(展示期間=令和3年8月1日~31日)されていると聞き、行って来ました↓

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風鈴まつりは、新型コロナウイルスの影響で日常を失い落ち込んだ気運を少しずつでも高め、風鈴の音色で人々の心を癒し楽しんでもらいたいという想いから開催されました。神社において清らかな鈴の音色は、邪気を祓い清浄をもたらすとされているそうです。

こちらは三ノ鳥居↓

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自動車で入れるのはここまで。現在は一般道になっていますが、この鳥居よりはるか南まで参道が延びていて、かつては広大な敷地だったことがわかります。

三ノ鳥居をくぐると、現れるのが随身門↓

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大宝八幡宮のHPによると、この門は意外と新しく、昭和天皇在位60年の記念に建てられたものだそうです。

そしてこちらが拝殿↓

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まずは参拝、新型コロナがはやくおさまりますように・・・。

そして、お目当ての風鈴です↓

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吊るされているのは、1つ200円(先着1,000個)の無地の風鈴に市民が自由に絵を描いたものだそうです。

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風が吹くと一斉に、涼しげな音色を聞かせていました。
風鈴まつり、筑西市内の神社仏閣でも開催してみたら面白いと思いますが、いかがでしょう?

さてせっかく大宝に来たので、もう一つ、ご紹介しておかなければならない事があります。

それはこちら↓

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ここは南北朝時代、関城(筑西市関舘)や伊佐城(筑西市中舘)とともに北朝方と戦った、大宝城があった場所なのです。

以下は、現地の解説板より↓

国指定文化財 史跡 大宝城跡
指定年月日 昭和9年5月1日
所在地 下妻市大字大宝
管理者 下妻市
平安時代から南北朝時代に書けてあった城跡。西、北、および東方の一部を旧大宝沼に囲まれた台地の自然地形を利用して造築された城郭であり、東方も古い時代は沼か湿地であったと思われるから三北(注:三方の誤記か?)断崖に面した要害の地であった。
東西288メートル・南北576メートルで台地の北方を本丸、南方を大手、東を搦手(からめて)とした。1341(興国(こうこく)2、暦応(りゃくおう)4)年11月、春日中将顕国(かすがちゅうじょうあきくに)が興良(おきながしんのう(おきよししんのう))を奉じて小田城よりここに移ってから、東国における南朝方の拠点となった。その後、北朝方の猛攻をうけて苦戦を続け、食糧不足と城内不和のため、1343(興国4、康永(こうえい)2)年11月12日落城。城主下妻政泰は討死した。
城跡は大宝八幡宮の境内として今にその面影を留めている。八幡宮裏に1931(昭和6)年5月建立の「贈正四位下妻政泰忠死之地」の碑と、1943(昭和18)年11月の「下妻政泰公碑」が建っている。
平成29年3月 下妻市教育委員会

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説明板には「所在地 下妻市大字大宝」と書かれていますが、実際には史跡のごく一部が筑西市域に含まれていて、茨城県教育委員会ホームページでは「所在地 下妻市大宝667 筑西市関舘・中村新田」となっています。つまり、筑西市の史跡でもあるのです。


というわけで、大宝城についてはあまり詳しくないので、少し勉強した上でまた後日、機会があれば書かせていただきたいと思います。


大宝八幡宮
茨城県教育委員会
下妻市