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板谷波山生誕150年 検索ファイルVol.4観音像/広報筑西People 令和3年8月1日号

こんにちは、みなさんお元気ですか?

さて、ここ茨城県筑西市は、陶芸家・板谷波山先生(文化勲章受章者、茨城県名誉県民、筑西市名誉市民)の出身地です。そして来年令和4年は、その波山先生の生誕150年という節目の年。これを記念して、市の広報紙Peopleが波山先生の記事を連載しています。今回はVol.3に続いて4をご紹介します。

広報筑西People令和3年8月1日号掲載

シリーズ 板谷波山 生誕150年
一木努(いちきつとむ)の
波山検索ファイル Vol.4「観音像」

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8月、もうすぐお盆ですね。
今から65年前の昭和31年(1956)、「とにかく今年のお盆までには作り上げたい」波山はそう決意しました。
制作を急いでいたのは白磁の観音像(左写真)です。

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白磁の観音像

波山は日中戦争以降、郷里下館の戦没者遺族に、自作の香炉を贈り届けていました。しかし、どの家でも大事にしまい込んだままだと耳にします。日本一の陶芸家の作品を、日常使いにはできませんよね。
そこで香炉に替えて観音像を作り、すべての遺族に贈呈することにしたのです。

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上が昭和26年(1951)、妙西寺での第1回の贈呈式の写真で、右側奥に160体余りの観音像が並べられています。これらが旧下館町(現在の甲、乙、丙)の戦没者のうち、約半数の家族に手渡されました。
しかし、その後波山は体調を崩して制作を中断、「残った分を早く作らないと遺族の人たちに申し訳ない」と気にかけながら、「やっとあと10体ほどにこぎつけた」のが昭和31年(1956)5月のこと。そして「間に合えば旧盆までに」の決意通りお盆前の7月10日、前回から5年、終戦から11年の歳月を経て、第2回目の贈呈式を迎えることができたのです。
妙西寺のご本尊前に並ぶ観音像103体、桐箱にはそれぞれ故人の名が波山の筆で記されています(下写真)。

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戦地に散った若者たちのために、そして残された家族のために芸術家として何が
できるかを思案の末に計画された「故郷の全戦没者遺族へ観音像贈呈」という一大プロジェクト。その偉業を成し遂げ、まる夫人とともに写真に納まる波山は84歳になっていました。

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観音聖像33体躯

波山の観音像は焼き物だけではありません。親しい人の訃報に接すると、しばしば観音像を描いて遺族に届けていました。このシリーズ第2回目(ピープル6月1日号)に登場した下條家には、「観音聖像33躯」(上写真)が残されています。元下館町長下條豊(しもじょうゆたか)氏の長男重徳(しげのり)氏が34歳で亡くなった時に、33枚の半紙に描かれた観音像が丁寧に紐で綴じられ、桐箱に納めて贈られました。
また波山の謡(うたい)仲間の田村家には11枚、さらに親友の間々田元吉(ままだもときち)家には「お棺の中に入れて下さい」と、徹夜で描いた100枚の観音像が届けられました。間々田家では、波山の許しを得て1枚だけ残し、掛け軸にしています。
立体と平面の観音像、いずれも波山独自の心のこもった供養のスタイルに頭が下がります。来年の「波山生誕150年特別展」で実物をお目に掛けることができそうです。
文 下館・時の会代表一木努さん


八月葉月
金魚
文・学習院大学教授 荒川正明(あらかわまさあき)さん
彩磁金魚文花瓶(さいじきんぎょもんかびん)板谷波山
明治44年(1911年)
高さ28.5㎝ 胴径19.8㎝
しもだて美術館

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夏の風物詩の金魚。波山の作品のなかにも、金魚を描いた花瓶があります。
陶芸家としてデビューして初々しい頃の六匹の金魚が藍色の水の中を泳ぎまわり、シャボン玉のような黄色い泡を口からプカプカと吹き出し遊んでいます。
じつはこの金魚たち、それぞれ目つきや表情が異なって、いたずらっ子のような風貌がユニークです。この作品のスタイルは、当時、フランス・パリなどで流行したアール・ヌーヴォーのニューファッションを採り入れたものでした。
ところで、この金魚の花瓶は映画「HAZAN」のなかにも登場しています。
金貸しのサブ(配役は寺島進(てらじますすむ)さん)は、たびたび波山の家に厳しく借金の取り立てに来ます。しかし、彼はいつしか波山陶芸の魅力に引き込まれていく・・・。「先生よ、今日はオレ、金の催促じゃなく、先生の花瓶を見たくて・・・」。波山は彼を家の中へ案内し、金魚の花瓶を彼の前に置きます。波山に誘われ、おそるおそるこの花瓶に触れるサブ、そしてこぼれる笑顔。映画のクライマックスの一コマ、感動的なシーンの主役はこの花瓶だったかもしれません。


波山ニュース
波山先生記念会理事長の板谷駿一(いたやしゅんいち)さんからのご寄稿を紹介します。
知の巨人立花隆さん逝去

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学生時代の立花隆さん

先頃、立花隆(たちばなたかし)君が惜しまれつつ亡くなりました。
彼は、私の同級生、波山のことも知っていて、こう書いています。
「私は波山の孫と水戸の小中学校から大学まで一緒だったため波山とは何度も会っている。ある日誘われて一晩徹夜で窯焚きを手伝ったこともある(1962年12月)。むろんその頃から、すごい陶芸家であることはよく知っていたが、『ほんとにすごい人だったんだ』と思うようになったのは、荒川正明(あらかわまさあき)さんの『波山の生涯』などを読んでからで、さらに『ほんとにすごい』と感じ入ったのは2003年の『波山展』を見、作品を通して波山の大きさをつかみとったからである」。
立花君に、来年の波山生誕150年展も見せたかったが残念です。
22歳の立花君と一緒に窯を焚いたのは、今もいい思い出として残っています。
その窯は、現在波山記念館に展示されています。

【問】しもだて美術館  電話0296-23-1601

 

というわけで、広報筑西Peopleの板谷波山生誕150年記念の連載記事は、Vol.5に続きます。

 

 

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板谷波山記念館公式サイト
しもだて美術館