板谷波山生誕150年・波山検索ファイルVol.3祇園(広報筑西People 令和3年7月1日号)

こんにちは、みなさんお元気ですか?
さて、ここ茨城県筑西市は、陶芸家・板谷波山先生(文化勲章受章者、茨城県名誉県民、筑西市名誉市民)の出身地です。そして来年令和4年は、その波山先生の生誕150年という節目の年。これを記念して、市の広報紙Peopleが波山先生の記事を連載しています。今回は、Vol.2に続き3をご紹介します。

広報筑西People令和3年7月1日号掲載

シリーズ 板谷波山 生誕150年
一木努(いちきつとむ)の
波山検索ファイル Vol.3「祇園

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例年今頃になると、どこからか祇園囃子の稽古の音が流れてきて、ソワソワ、ワクワク、ワソワワ、ウキウキとなるところですが、残念ながら昨年に続いて今年も、我がまち最大の目玉行事はお預けになりそうです。
板谷波山もまた、「ソワソワ、ワクワク、ウキウキ」仲間のひとりでした。

祇園囃子の音

昭和30年(1955)の親戚宛ての便りに波山は「下館お祭りの御知らせに懐かしき昔の事共色々と偲ひ浮べ居り祇園ばやしの太鼓が耳へ聴へる様です」(原文のまま)と書いています。
ある時は、久しぶりに耳にした祇園囃子の調子が、以前と異なると感じてお囃子連中を集め、昔ながらの節を伝授するほどでしたし、昭和32年(1957)の寿峰会(じゅほうかい、波山の後援者の会の集まりでも、自らバチを手に祇園囃子を披露しています(下写真)。

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その時の青木恒一(あおきこういち)氏撮影の写真がすばらしいので、ご覧いただきましょう。

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「お祭り大好き」が、すてきな表情にあふれています(上写真は寿峰会の(じゅほうかい)の日向野吉次郎(ひがのきちじろう)氏)。

波山が見ていた神輿

さて、波山が先ほどの手紙を書きながら思い浮かべた昔の祇園まつりはどんなものだったのでしょうか。
波山が上京したのは明治20年(1887)。そのころはまだ、明治神輿や子供神輿、もちろん伊達組もありません。当時の祇園まつりは、菅谷の神明社の神輿が下館旧市街地から市野辺地区を練り歩き、勤行川で川渡御をするというものでした。
波山が見ていたのは、菅谷から市野辺に受け継がれ、現在も活躍している柳町の大神輿(下写真)だったのです。

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その後、羽黒神社の夏祭りとして新たな大神輿が登場しますが、夜祭であること、提灯を数多く取り付けること、そして渡御中は途切れることのない祇園囃子の調べなど、その骨格は継承されていくことになります。
近年、神輿の棒の組み方や、祭り装束そして渡御順路なども変化し続けていますが、一度だけ、往時の祇園風景がよみがえる瞬間がありました。平成15年(2003)4月、映画「HAZAN」で明治末期を想定した祇園まつりの大ロケーションが羽黒神社境内で行われたのです。

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神輿を井桁に組み、担ぎ手は白足袋、腹巻に、さらしの襦袢(じゅばん)、それも祭りの生き字引、昨年亡くなられた杉山勝男(すぎやまかつお)さん旧蔵の明治の年代物を再現しました。下が撮影後の集合写真。中央の白いスーツが波山役の榎木孝明(えのきたかあき)さん、右が五十嵐匠(いがらししょう)監督です。何が大変だったといって、季節は春、境内の桜は満開、前夜の大雨で地上は一面ピンクの絨毯。それを早朝からひたすら箒でかき集め、夏のシーンに備えたことでしょうか
来年波山生誕150年展の期間中、上映予定ですので是非ご覧ください。
文 下館・時の会代表一木努さん


花ものがたり 七月文月
百合(ゆり)
文・学習院大学教授 荒川正明(あらかわまさあき)さん
彩磁百合文花瓶(さいじゆりもんかびん)板谷波山
大正初期(1910年代)
高さ31.2㎝ しもだて美術館


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東京の北区田端にあった波山邸の庭では、蘭や牡丹などの珍しい花を特別好むということはなく、自然に生える草花を愛でられていたようです。その庭では毎夏、ヤマユリが咲いていました。
波山はユリが好きだったらしく、花を咲かせるとそそくさと庭に出て、間近でじっくりと眺めながら写生に取りかかるのでした。波山の素描帳を見ると、毎年、飽きもせず、熱心にユリの写生に挑む様子がうかがえます。
この花瓶のユリはピンク色なので、カノコユリと呼ばれる種のようです。裏面にも先がピンク色を呈した可憐なユリのつぼみが、描かれています。来年開催予定の「生誕150年記念・板谷波山展」でご覧頂きたいと思います。
ところで、波山は長女に「百合子」と名前をつけました。この美しい娘を波山は人一倍可愛がりましたが、惜しくも34歳で 早世してしまいます。波山の落胆ぶりは大変なものでしたが、どうか娘を忘れないでほしいと、自らユリの花を描き、掛け軸にして、近親の人たちに手渡したのでした。


波山ニュース
古い街並みや風景の写真を探しています!

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上写真:大町通りを行くオリンピック聖火 昭和39年(1964)
来年開催予定の「生誕150年記念・板谷波山展」で、波山が生まれ育った明治・大正・昭和の時代に撮影された写真を展示するため、にぎやかな街の様子や暮らしの様子などがわかる写真を探しています。どのような写真でもかまいません。写真や情報をお持ちのみなさんのご協力をお願いします。
【問】しもだて美術館  電話0296-

23−1601

 

というわけで、広報筑西Peopleの板谷波山生誕150年記念の連載記事は、Vol.4に続きます。

 

 

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しもだて美術館