板谷波山生誕150年へ(広報筑西People 令和3年2月1日号)

こんにちは、みなさんお元気ですか?


さて、ここ茨城県筑西市は、陶芸家・板谷波山先生(文化勲章受章者、茨城県名誉県民、筑西市名誉市民)の出身地です。そして来年令和4年は、その波山先生の生誕150年という節目の年。これを記念して、市の広報紙Peopleが波山先生の記事を連載していますので、ご紹介します↓

 

広報筑西People令和3年2月1日号掲載

近代陶芸界の巨匠 筑西市名誉市民

板谷波山1872-1963 生誕150年へ

f:id:UncleAlbert:20210610171421j:image

下館町(現筑西市)出身で、陶芸家として初の文化勲章を受章した板谷波山(いたやはざん)。来年3月には、生誕150年を迎えます。これを記念して本紙ピープルでは、近代陶芸界の巨匠「陶聖」と呼ばれる波山の魅力をシリーズでお伝えしていきます。

 

今なお人々を魅了する陶芸家・板谷波山とは

f:id:UncleAlbert:20210610171518j:image

没後58年、今なお波山を超える陶芸家は現れていないと言われています。波山は日本の近代陶芸の開拓者であり、陶芸家としては初の文化勲章受章者です。

板谷波山(本名=嘉七かしち)は、明治5年(1872)3月3日、下館城下の田町に醤油製造業のかたわら雑貨を商う板谷家の三男として生まれました。明治22年、東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科に入学。岡倉天心高村光雲らの指導を受けました。

卒業後は、石川県工業学校の彫刻科教諭として金沢に赴任、「勤川(きんせん)」と号しました。この金沢で釉薬の研究などを始めた波山は、職を辞し陶芸で身を立てることを決意します。明治36年、東京田端に工房を構え作陶活動を始めました。「波山」の号は「筑波山」に因んで名づけられたもの。波山が東京田端に工房を開いた時には、遥か彼方に見える筑波山の雄姿に心を打たれたと伝えられています。
明治39年、初窯に成功後、精力的に活動を続け、明治44年には皇后陛下の御前で「彩磁菊花図額皿」(写真)を制作するという栄誉にあずかります。昭和4年、陶芸家初の帝国美術院会員。9年には帝室技芸員になっています。

 

独創的な「葆光彩磁※」陶芸を芸術へ

波山が日本陶芸界に残した大きな功績は陶磁器を単に窯業という産業から近代芸術の一翼を担う分野として確立したことです。波山が日本近代陶芸の祖と呼ばれる所以です。
波山は、美術学校で学んだ彫刻と焼き物を結びつけ、焼き物に彫りの模様を施す技法を編み出し、幻想的な雰囲気をかもし出す「葆光彩磁」の完成など、後の日本陶芸界に大きな影響を与えました。
独自の技法に彩られた、柔らかな気品にあふれる端正な作品を作り続け、国の重要文化財である「葆光彩磁珍果文花瓶(ほこうさいじちんかもんかびん)」泉屋博古館分館蔵をはじめとした作品たちは、今日も見る人の胸を打ちます。

近代芸術として新しい陶芸の道を切り開いた波山は、昭和28年、陶芸家として初めての文化勲章を受章。翌29年に日本画横山大観とともに、茨城県名誉県民に推挙されました。

※葆光彩磁 波山が生み出した装飾技法で、葆光とは「光を包む・保つ」いう意味。つや消しの釉薬(葆光釉)をかけて、薄い絹布を被せたかのような淡い光を放つのが特徴


郷里下館をこよなく愛し 多くの人々に愛された波山

陶芸家として確固たる地位を築いた波山は、その生涯にわたってふるさとを愛し続けました。波山は、当時の下館町の80歳になる高齢者に、「道に迷わずにお年寄りが家に帰れるように」との願いを込めて自作の鳩杖(はとづえ)(写真) を贈りました。昭和8年から始められ、波山自らが80歳となる昭和26年までの19年間で、その数は、319本にもおよびます。

また、昭和12年に始まった日中戦争で下館から戦没者が出たことを知った波山は、心からの哀悼の意を表したいと、側面に「忠勇義烈(ちゅうゆうぎれつ)」の4文字を刻した白磁の香炉を贈り、太平洋戦争以降は、白磁の観音像(写真)を贈りました。観音像の贈呈は終戦後の昭和20年代後半まで続けられ、その数は、289体にのぼります。

波山は、ふるさとの文化財保護や文化振興にも取り組みました。中舘の観音寺にある「木造造観音菩薩立像(もくぞうかんのんぼさつりゅうぞう)」の国宝指定や、岡芹の定林寺の「銅鐘(どうしょう)」などの県文化財指定に奔走しました。また、前途有望な若者を育ててほしいという波山の意志から始まった奨学金制度は現在も続いています。昭和26年、下館町は最初の名誉市民、26年として波山を推挙し、その功績をたたえました。

 

波山は昭和38年(1963)10月10日に、92年の生涯を閉じました。本紙では、来年3月の生誕150年に向け、生涯を通じて至高の芸術に挑み続けた波山の足跡を辿っていきます。

 

■彩磁菊花図額皿 明治44年(1911)しもだて美術館

f:id:UncleAlbert:20210610171542j:image

■葆光彩磁葡萄紋様花瓶(茨城県指定文化財)大正11年(1922)茨城県陶芸美術館蔵

f:id:UncleAlbert:20210610171556j:image

■三方焚口倒焔式丸窯(板谷波山記念館内)

f:id:UncleAlbert:20210610171633j:image

田端の工房で実際に使われていた窯や、ロクロ台、各種の道具など、波山芸術の生まれた場が再現されています。

■波山の生家(板谷波山記念館内)

f:id:UncleAlbert:20210610171656j:image

木造瓦葺平屋建てで、座敷二間は江戸時代中期建築のもの。現存する座敷は波山誕生(明治5年3月3日)の部屋です。

■観音像

f:id:UncleAlbert:20210610171711j:image

戦争戦没者遺族を励ますため、波山が贈った白磁の観音像(板谷波山記念館蔵)

■鳩杖

f:id:UncleAlbert:20210610171725j:image

80歳になる高齢者に長寿を祝して贈られました。太平洋戦争中には鳩の部分が鋳物から白磁に。(板谷波山記念館蔵)

■葆光彩磁孔雀文尾様花瓶 大正3年(1914)茨城県陶芸美術館蔵

f:id:UncleAlbert:20210610171741j:image

というわけで、以上、広報筑西Peopleの板谷波山生誕150年の連載記事は、次回(Vol.1)に続きます。

 

筑西市ホームページ
板谷波山記念館公式サイト
しもだて美術館