七羽黒神社とは何処を指すのか(常陸下館七羽黒)

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さて、話は変わって・・・
わたくし臣(しん)が住む茨城県筑西市の大町(筑西市甲)には、文明3年、初代下館城主の水谷勝氏(みずのやかつうじ)公が出羽国(山形県)羽黒権現を勧請したという羽黒神社が鎮座しています。
その大町の羽黒神社を筆頭に水谷領内には多くの羽黒神社が建立され、七羽黒と呼ばれました。
一説には、結城七社を模した(『茨城県神社誌』口戸羽黒神社の項「出羽羽黒山の御分霊を迎へ結城七社を模して鎮斎した」)とも言われています。


現在、筑西市筑西市観光協会などが七羽黒としているのは次の七社↓

羽黒神社(大町)
・上羽黒神社(岡芹)
・下岡崎羽黒神社(下岡崎)
・外塚羽黒神社(外塚)
竹島神社(稲野辺)
・口戸羽黒神社(口戸)
・大根田羽黒神社(真岡市大根田)

これは、下館市が昭和43年に発刊した『下館市史』の記述に基づいているようです↓f:id:UncleAlbert:20200804072243j:image

そして、その下館市史の元になったと思われるのが、昭和15年に下館町が発刊した『下館町郷土史』↓

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下館城の鬼門にあたる神社(竹島神社)の位置を、『下館町郷土史』は「稲野辺」、『下館市史』は「市野辺」としている以外、両書ともほぼ同じ内容です。
竹島神社は「稲野辺」「市野辺」の境に鎮座しているので、『下館市史』の「市野辺」は誤認でしょうか。少なくとも両書をみる限り、七羽黒はこれで確定のようですが、実はそうでもありません。


『下館町郷土史』より前、明治27年(1894)に真壁郡大田村(現筑西市)の杉山三右衛門が常陸国に関する史料をまとめた『常陸國係 杉山私記』という書があり(下写真は復刻版)↓

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この『杉山私記』では、羽黒神社の所在地として、次の七ヶ所をあげているのです↓

・西郷谷村愛宕神社境内
・岡芹
・下岡崎
・外塚
・稲野辺
・口戸
○下中山たらほう

西郷谷村愛宕神社境内というのは、現在の大町羽黒神社境内のこと。『杉山私記』と『下館町郷土史』の違いは、「大根田」ではなく「下中山たらほう」を七羽黒神社にあげている点です。

更に「茨城県筑西市下館大町の羽黒神社から 七羽黒を考える」というホームページによると、文久元年(1861年)に清龍寺隠居日想庵寛海が記した『下館惣鎮守羽黒大権現勧請之由来書』という文書が存在し、そこでは次の七社を七羽黒にあげているといいます↓

・大町
・岡芹
・下岡崎
・外塚
○小林(おばやし)
○多良棒
○御本丸八幡宮と相殿

清龍寺とは羽黒神社別当寺ですから、その隠居である寛海が記した文書であれば、信頼のおける史料といえるでしょう。『下館町郷土史』との違いは、「稲野辺」「口戸」「大根田」ではなく、「小林」「多良棒」「御本丸八幡宮と相殿」としている点です。

「小林」は、竹島神社がある稲野辺に隣接しています。明治44年、竹島村内にあった羽黒神社を含む無格社は、村社である稲荷神社と合併し、その後竹島神社に改称しました。当時「小林」は竹島村に属していたので、あるいは稲荷神社との合併で失われた羽黒神社は、この「小林」にあったのかもしれません。

「御本丸八幡宮」は現在の本城町、境内に下館城址の碑が建つ八幡神社のこと。相殿(あいどの)とは複数の神を祀る神社で、この場合は、八幡神が主神で羽黒権現相殿神(主神以外の神)ということでしょうか。

そして、「多良棒」の羽黒神社です。杉山私記の「下中山たらほう」と由来書の「多良棒」は、現在の大字下中山字多良棒のことを指すとと思われ、先のホームページ「七羽黒を考える」によると、県立下館一高の前に現存するといいます。

そこで下館一高の周辺を検索してみると、ありました↓

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羽黒神社という名前になっていますが、おそらくここが多良棒の羽黒神社でしょう。

 

というわけで、話が長くなってしまいました。この続きは、機会があれば、またいつか書かせていただきたいと思います。

 

■このブログで紹介した羽黒神社
羽黒神社(下羽黒神社)
・上羽黒神社
・外塚羽黒神社
・口戸羽黒神社
・大根田羽黒神社
・下岡崎羽黒神社
竹島神社

 

茨城県筑西市下館大町の羽黒神社から七羽黒を考える

七羽黒をめぐるルート/ちゃりさんぽ公式ホームページ

 

厚生労働省