Hatena Blog版・筑西歳時記~ここは茨城、筑西(旧下館)市

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結城政勝公御影堂と木造結城政勝像

こんにちは。
今この時も新型コロナウイルスと戦う医療従事者のみなさん、関係者のみなさんに敬意を表します。

さて、話は変わって・・・
先日記事にした西ノ宮の住吉神社に続いて、茨城県結城市のお話です。

下総国結城は、わたくし臣(しん)が住む筑西市下館(常陸国下館)の西隣に位置します。
俵藤太こと藤原秀郷の流れをくむ下野の豪族小山氏の小山朝光(結城朝光、仁安3年1168 ~建長6年1254)が結城を名乗ったことに始まり、平安時代末から江戸時代初期まで、結城氏がここ結城の領主でした。

一方下館には、藩主家こそ変わったものの、およそ江戸時代を通じて下館藩が存在しましたが、戦国時代を生き抜いた下館城主の水谷(みずのや)氏が、江戸時代初期に独立して大名となったのが藩政の始まり。その水谷氏は、元々は結城氏の家臣であり、目下の同盟者であったのです。

ということで今日ご紹介するのは、観音町にある「結城政勝公像御影堂」と、そこに祀られた「木造結城政勝像」です↓

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御影堂は、結城百選のひとつに選ばれています↓

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こちらが御影堂↓

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結城市指定文化財(彫刻)の結城政勝公像↓

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木造結城政勝像
年代 明治時代
数量 1躯
指定年月日 昭和39年9月1日
所在地 結城市大字結城(観音町)
管理者 宗教法人華蔵寺

 

政勝の仁徳を慕った町民たちは、政勝の遺髪を植えた木像を安置し、御影堂と呼んでいましたが、火災にあい消失。御影堂と木像は明治になって、政勝の偉徳をしのぶ人たちによって再建されたそうです。明治の像を指定しているのは、珍しいのではないでしょうか。

ちなみに政勝は、戦国時代の結城家当主で結城城主。足利義氏北条氏康の支援で小田氏治をやぶり領地を広げたほか、「結城氏新法度」を制定するなどしています。
また、結城四天王の一人である下館城主の水谷正村に娘の小藤(こふじ)姫を嫁がせ、二人の間には女子が産まれました。しかし、小藤姫はお産の際に命を落とし、これを機に正村は出家して蟠龍斉(ばんりゅうさい)を名乗っています。この後正村は妻を持たなかったということです。

なお、結城家は17代晴朝の時、豊臣秀吉の養子となっていた徳川家康の二男秀康を跡継ぎに迎えました。その後、秀康が越前北庄68万石に移封されたことにより、結城氏は先祖代々治めてきた結城の地を離れます。秀康の嫡子忠直は松平に改姓、結城の名跡は五男直基(前橋松平氏)が継ぎましたが、直基もまた松平に復したため名門結城の名は絶えてしまいました。残念です。


というわけで、木造結城政勝像のご紹介でした。

 

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