口戸羽黒神社(常陸下館七羽黒)

こんにちは。
テレビもネットも、相変わらずニュースは新型コロナウイルス一色。感染の1日も早い収束を願います。

さて、話は変わって・・・
わたくし臣(しん)が住む茨城県筑西市、その市街地のほぼ中心にある大町(筑西市甲)には、羽黒神社が鎮座しています。

この大町の羽黒神社は文明13年、初代下館城主の水谷勝氏(みずのやかつうじ)公が領内安堵のため、日頃尊崇していた出羽国(山形県)羽黒権現を勧請したものとされています。
常陸国下野国にまたがる水谷領内には、この大町の羽黒神社を筆頭に多くの羽黒神社が建立され、吉数である7を用いて七羽黒と呼ばれました。また一説には、結城七社を模した(『茨城県神社誌』口戸羽黒神社の項「出羽羽黒山の御分霊を迎へ結城七社を模して鎮斎した」)とも言われています。

そして本日ご紹介するのは、その七羽黒のひとつ、筑西市口戸にある羽黒神社です↓


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以前は参道に並木があったようですが、枯れてしまったのか、伐採されていました↓

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久下田城の裏鬼門を守る神社
口戸羽黒神社(七羽黒神社の一社)
筑西市口戸九二番地
羽黒神社は、下高田観音様、大根田羽黒神社、羽方神社、伊佐城、伊佐城(誤記か?)、久下田城と結界を形成する水谷家の重要な神社である。
羽黒神社の一社、水谷勝氏(初代)が文明十三年(一四八一)出羽国(山形県)羽黒大権現を勧請し、古式により、下館城を守る為に、鬼門の稲野辺本郷、病門の外塚、天門の岡芹、中宮の西郷谷、下館城東南の風門の下岡崎に建立した。
その後、天文十四年(一五四五)久し下田城から鬼門の大根田村と病門の口戸村に羽黒神社を創建し水谷家の武運長久、領民の安泰を祈願した。世に七羽黒と呼ばれている。
天文一二年(一五四三)に入道した水谷正村(六代)は蟠龍斎と号し、両刀遣い拡張の為にまず久下田城を新築してよく宇都宮方の大勢力と対抗し、戦うこと十三年にして大根田郷八木岡村、芳賀郡田野城を攻撃して田野五村を領有して北方に領土拡張し、後には中郡庄を幾度かの合戦たよって完全に我が掌中に治めた。当時から地元では「畑にじしばり、田にびるも、久下田に蟠龍なけりゃよい」と恐れられてきた。こうして四十余りの郷の守護神として七羽黒神社は下館を守る軍事上の櫓として人々に尊崇されてきた。
祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
祭礼 十一月二十五日
規範様式 本殿、神明造間口一間、奥行四尺、拝殿 間口二間 奥行一・五間
境内 一四一坪
口戸村は、『杉山私記』(明治二十七年発行)によれば下野の国への入り口故に口を上に、其下に家の戸の文字を置き口戸村とした。この辺には村人が住んでいたと言われている、神社のお祭りには幡を立てて祝う習わしです。
贈 下館商工会議所
管理者 口戸羽黒神社氏子中

御本殿です↓

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口戸の羽黒神社については、茨城県神社誌(昭和48年、茨城県神社庁)に、このように記述されています↓

 

羽黒神社
法人(旧村社)
鎮座地 下館市口戸九二(旧真壁郡中村)
交通 真岡線折本駅下車
祭神 大己貴命
祭祀 例祭 十月二十八日
由緒沿革 文明十七年春、水谷家初祖水谷伊勢守の守護神として下館城主となったとき、出羽羽黒山の大神の御分霊を迎へ、結城七社を模して鎮斎したといふ。明治六年四月村社に列格、昭和二十七年九月二十二日宗教法人認証。
施設 本殿 神明造間口六尺奥行四尺。拝殿 間口二間奥行一.五間三坪
境内 一四一坪
氏子 一八戸
宮司 柳田茂雄


ここでは、いわゆる七羽黒が「結城七社を模して鎮斎した」とされていてます。なかなか興味深い記述ですが、他に裏付けとなる史料の確認が出来ないので、真偽のほどはよくわかりません。どなたかご存知の方がいれば、是非ご教示ください。

 

というわけで、口戸羽黒神社のご紹介でした。

 


■このブログで紹介した筑西市内の羽黒神社
羽黒神社(下羽黒神社)
・上羽黒神社
・外塚羽黒神社


厚生労働省