こんにちは。
新型コロナウイルス、またまだ収束しそうにありませんが、みなさんは元気にお過ごしでしょうか?
さて本日は、常陸下館七羽黒のひとつとされる、外塚(とのづか)羽黒神社のご紹介です。
外塚羽黒神社があるのは、茨城県筑西市外塚の伊讃地区公民館近く、神明公園の東南です↓
案内板より↓
下館七羽黒神社の一社
外塚羽黒神社 筑西市外塚一八三番地
七羽黒神社の一社、文明十年(一四七八)水谷左近将監勝氏(みずのや さこんしょうげん かつうじ)(初代)が結城家より独立し、下館に築城。三年後の文明十三年(1481)、水谷家の武運長久と領民の安泰を祈願し、日頃尊崇する出羽(山形県)羽黒神社を勧請した。
勝氏は古式により下館城の中宮に位置する西郷谷村(現在の大町)鬼門の稲野辺村、病門の外塚村、風門の下岡崎村、天門の岡芹村に五つの羽黒神社を創建した。
その後、天文十四年(1545)水谷政村(六代)が久下田に築城。鬼門にあたる大根田村(現在二宮町※ブログ管理者注 合併して真岡市)口戸村(現在は筑西市)に羽黒神社を創建した。世に七羽黒と呼ばれている。
特に外塚は城の搦手の岡芹と城域に通づる西口の要衝であった。
外塚羽黒神社は境内一五五余坪。祭神大己貴命(おおなむちのみこと)(大国様)。昭和五十五年に区画整理事業により現在地に移された。以前は境内が船の形であったことから船羽黒と呼ばれていた。
又社跡には縄文後期から弥生時代の複合的遺跡があり、「外塚遺跡」と呼ばれている。
寄贈 下館商工会議所
管理者 外塚羽黒神社氏子中
本殿の覆屋↓
なお、筑西市が発行した「ちくせい魅力発掘マップ~下館祇園まつりと社寺城跡編~」には、境内に榎様、厄除様、八坂様など5つの末社が祀られていると書かれています↓
こちらがその末社と思われますが、どちらがどの神様かはわかりませんでした↓
他にも、財団法人茨傷下館支部と傷痍軍人会、同妻の会による平和祈念之塔が建っています。
平和祈念之塔↓
東日本大震災の影響でしょうか、巨大な石碑がずれていました↓
下館傷痍軍人会名簿↓
数年前、たまたま通りかかった時に出会った夏祭りの様子↓
大人だけで御輿を担いでいました。他の地域同様、ここでも子どもの数が減少しているようです。
最後に「外塚」の読み方について、「とのづか」としているサイトもあるようですが、筑西市公式ホームページの「筑西市の住所はこうなります」というページで「とのつか」となっているので、「とのつか」が正解と思われます。
というわけで、常陸下館七羽黒のうち外塚羽黒神社のご紹介でした。
■このブログで紹介した筑西市内の羽黒神社
・羽黒神社(下羽黒神社)
・上羽黒神社
■筑西市公式ホームページ
筑西市の住所はこうなります